http://ja.wikipedia.org/wiki/ビリー・ジーン
マイケル・ジャクソンという名自体が宗教的名前であるため、歌詞の中の私(I)という主語が、作詞者で歌手であるマイケル自身の身の上を連想させることの他に、キリスト教教義を否定し、ユダヤ教徒を侮辱する宗教的意味合いも生じてしまう。
まず、主語(I)を連想させるマイケル(Michael)という名は、ユダヤ教聖典とキリスト教旧約聖書とキリスト教新約聖書に天使のかしらであるミカエルとして掲載され、聖クルアーンにミ-カールという天使として掲載されている名である。特に、新約聖書では、天使のかしらであるミカエルの責任において、マリアの婚約者ヨセフに「ダビデの子ヨセフよ。心配しないでマリアを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているのは聖霊によるのである。(以下略)」と告げたことが有名[1]。また、ジャクソン(Jackson)は、Jack(ヤコブ:イスラエル)とson(息子)とからなり、イスラエル12部族を表す名。
さらに、ビリー・ジーン(Billie Jean)の名も、Billに米俗語として「鼻」という意味があるため、ヘブライ語のユダヤ教聖典においてアダムが原罪を犯したことで「鼻」に汗して食物を得るよう神に呪われた[2]ユダヤ人を連想させる名である。
そして、歌詞はというと、冒頭で、ビリー・ジーンを指してa beauty queenのようだと形容している。すなわち、ユダヤ人女性をqueenと称したら、ユダヤ人である聖母マリア(the Queen of Grace)を指すのである。しかも、彼女は主語(I)の恋人ではなく、彼女の子も主語(I)の子ではないと訳すこともできる歌詞が繰り返し強調されているため、「聖母マリアはイスラエルの息子の恋人ではなく、聖母マリアの子もイスラエルの息子の子ではない。」という意味合いが強調される結果となった。
また、「40日40夜、法は彼女の味方だった」と訳すこともできる歌詞中の句をユダヤ教聖典の律法に基づいて解釈すると、「40日目に出産の穢れを浄める儀式を行う日まで、トーラー(モーセ五書)はマリアの味方だった」と意味合いを連想させ、ユダヤ人マリアが、私生児を孕み、穢れたまま生きていたという意味合いを生じてしまった。
ただし、マイケル自身は自身の体験(過剰なファンによる被害)をもとに書いた曲であるとコメントしており、イエスの人性を教義とするルーマニア正教会信徒が大半を占めるルーマニアでのコンサートでは、大絶賛された。もう消されてるわ….